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>説明会に際し、神慈秀明会の基本理念を書いてあるパンフレットを配っていましたが、そこには”あくまで話し合いによる
>解決をめざそう”とか”人に対して温かさ・慈しみ・思いやりを持って接しよう”と立派なことが書いてありました。
>これに対して ”住民が多数反対しているのに建設を強行するのはこれらの教義に反するのでは?”という意見が当然でる
>のですが、これについては”この教祖様の教えを広めるのが第一で必ずしもこれに沿わなくてもよい”というような意味不
>明の説明をしていました。
>教義を無視する宗教団体を信用することができますか?
まさに神慈秀明会の本質を現した一言です。
神慈秀明会は、「自分たちが広がる」という大目標の前には、いかなる嘘をつき、矛盾を行ってもよいという考え方が、旧体制新体制に関わらず、根強く存在しているのです。
教義を弘めるためには、教義に逆らってもよいのです。
「正直主義」を弘めるために、嘘をついてもいいのです。
「明るさ暖かさ慈しみ思いやり」を弘めるために「信者家庭を暗く冷たくし、冷酷で人の心を思いやらない」でもよいのです。
「健富和」の世界を作るために、信者が「病貧争」になってもいいのです。
「誠」を弘めるためならば、どのような「不誠実」を行っても良いのです。
ということは、理屈は簡単です。神慈秀明会が、建設前に住民とどのような約束を取り付けたとしても、それは簡単にやぶっても良いのです。建設実現という大目標のためには、その過程で住民達と取り付けた約束など、その後の活動の邪魔になるならばいくらでも破ってよいような、取るに足らないくだらない約束なのだということです。
>これに対して ”住民が多数反対しているのに建設を強行するのはこれらの教義に反するのでは?”という意見が当然でる
>のですが、これについては”この教祖様の教えを広めるのが第一で必ずしもこれに沿わなくてもよい”というような意味不
>明の説明をしていました。
この言葉は、「お前達住人との約束なんて、建設成功のためなら守るつもりが無くてもいくらでも約束してやるし、その後、いくらでも破ってやる。」と言っているのと同義です。
実は、神慈秀明会には「布教のためなら、いかなる約束を破ってもよい」という会長講話があるのです。
この「命様御講話集」という本は、信者が布教に行くとき、必ず携帯し、何度も繰り返し読んだという、神慈秀明会の中でも特別な本です。そこに次のように書かれています。このことは、布教を経験した者の腹の奥にがっちりとこの考えが組み込まれているということです。
命様御講話集P16 「カモメのジョナサン」より
『約束にも色々あります。正しい約束は明主様との約束です。これは絶対に守らなければなりません。しかし明主様の御用を邪魔するような約束は「そんなたぐいの約束」になるので、守る必要はさらさら無いのです。』
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