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自主的か教団ぐるみか? 投稿者:いつもの通りすがり 投稿日:2006/07/22(Sat) 00:01 No.466

>「献金を強要する教師の存在」
>「教団ぐるみでの献金の強要」

たしかに、教団が音頭を取って、献金などを強要させる方法をマニュアル化して、全ての教師にそれを強制的に守らせていたかというと、それは少し違うと思うんです。

おそらく事実は、「献金を強要する教師」というものに、「教団の教師ひとりひとり、全員が、自主的、積極的になっていた」というところでしょう。神慈秀明会が行ったのは、そうならざるを得ない文化作りでした。

その意味で、I原教師が言っていた、「一部の教師が献金などを強要していた」というのは事実です。ただし、ここでいう一部とは、ほぼ全員のことです。正確には、「献金を強要しない酔狂な秀明教師も、広い日本を捜せば、もしかしたら一人か二人ぐらいはいたかもしれない」といったところでしょう。

>「今後の街頭での布教活動」の可能性を否定しませんでした。

秀明が方針を変えるのは、信仰ではなく、まったくの都合によります。
ですから、都合によって、今後、布教が復活することもあり得ます。さすがのI原教師でも、その事実をすっとぼけるほどの不誠実さまでには到達していなかったのでしょう。

神慈秀明会は、旧体制を新体制に変え、現在の所は昔のような布教活動はしていません。

しかし、それは全くもって「世の中からどう見られるか」という部分をごまかすことが目的であり、信仰的にはまったく整合性のない変化なのです。

(以下は以前も書きましたが再度記述します)

信者の立場からすると、「いまになって、あのときの体制は間違っていたというが、では、なぜ我々信者は、長年(1970年の立教から1996年まで)、そんな間違ったことをやらされてきたのか?」という疑問の回答はいっさいなされていません。反省したわけでもない。謝罪の意志があるわけでもない。しかし、あれだけ「これこそが絶対の正義なのだ」と教えてきた自己放棄や強制献金が、1997年、年が明けたとたん、「悪」になってしまったのです。教団から明確な見解が出ていないので、一人一人が、「なにか深いご神意があるに違いない」など、自分で勝手に想像するしかありません。

ということは、たった1年で、神慈秀明会は、また旧体制に戻ってもおかしくないのです。
旧体制を新体制に変えた理由(というか、なぜ自分たちは旧体制という「悪」を行ってきたのかという理由)を明確にしていないのだから、また、理由もなく、旧体制が新体制に変わってもおかしくないということです。

I原教師が、「今後の街頭での布教活動」の可能性を否定しなかったのは、この事情をよくわかっているからでしょう。

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