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弁護士を立てるとのこと,まったくあきれますね。
結局,地域住民に対して十分に納得する説明ができない団体であることを,自ら露呈していることに気づかないんでしょうか。
弁護士であれば当然法律には詳しいでしょう。でも,ただそれだけのこと。私たちの反対意見を法律でねじ伏せようとしているのであれば,全くの思い違いです。逆に,反感をかい,反対運動はより広がりをみせるでしょう。
私は緑豊かなこの地で安心して楽しく日々暮らしたい。
秀明会の教会建設反対は家の資産価値が下がるとかそんな問題ではない。投資目的ではなく、ここにできるだけ永く棲みたいと思っているのだから。
得体の知れない教団の不安におびえる生活は嫌なのだ。これに尽きる。
これだけ多くの地域住民が反対していて日増しにその輪が広がっているというのに法律をたてにしてでも無理やり施設を建てるのが果たして得策だろうか?それが「地域住民の感情」を逆撫でにすることになるのだということがわかっていないのだろうか?
お互いの平和のためです。どこか受け入れてくれる他の地を探してください。
幹部が来ながらあれだけ責任逃れかつあやふやな回答しかできず聞いていた皆に不信感を増大させ余計怒りをかったた秀明会。あのような方々の集まる会が来るのかと思うとやっとつかんだ幸せな生活が不安で不安でたまりません。
精神的に非常に苦痛です。
集会所の建設に絶対反対です。
神慈秀明会が弁護士を立てたのは、この反対運動を、法律の問題にすり替えてしまおうともくろんでいるからだと思います。
もう一つは、信者と住民との間のコミュニケーションを断絶したいと考えているのでしょう。
神慈秀明会は、昔から今に至るまで、全く変わっていないことが一つあります。それは、地域、社会、家庭、もと信者とのまともな交流、コミュニケーションをいっさい拒否するということです。
まともではないコミュニケーション、すなわち、自分たちが主導権をとれるコミュニケーションは行います。たとえば、布教に関することなどです。
しかし、本来、なんらかのトラブルが起こった場合や、過去に言ったことの反故の問題など、まず人間同士の信頼関係などで解決すべき事などに対しても、コミュニケーション拒否の神慈秀明会は、「無視する」か「自分からすぐに諦めて無かったことにする」か、弁護士を立てて、その弁護士と勝手に勝負してくれ、という態度を取ります。いずれも、コミュニケーションを拒否したいということが大目標です。献金裁判などは、すべてこの通りです。弁護士は法律家にすぎず、そのときにどのような心で、どのようなやりとりが行われたのか、その心情などを理解出来る人ではありません。
そもそも、弁護士を出して司法で解決するということは、その前に、当事者同士で真剣に話し合い、それでもどうにも解決がつかないから司法に解決を委ねる、というのが本来の姿のはずです。
しかし、神慈秀明会というのは、「面倒くさいコミュニケーション」をお金で代行してくれる便利屋として、はじめから弁護士を立ててくるのです。コミュニケーションが面倒くさいから弁護士を立てる。これが、人を助けることを旨とする宗教のやることでしょうか?その姿に、神慈秀明会の教義である「誠」「優しさと奥ゆかしさ」「明るさ暖かさ慈しみ思いやり」などの、かけらもありません。
初めから弁護士をたててくるということは、誠実な話し合いをするつもりはない、という意思表示であることを意味します。
ということは、神慈秀明会はコミュニケーション拒否が信条であり、東戸塚の拠点の建設に当たり、「布教はしない」など、どのような約束をしたとしても、後でそれを平気でやぶり、クレームを付けたら弁護士を立てて「法律的に何の問題があるんですか?」などと言ってくるような団体だということです。
そして、すべての交渉を弁護士にやらせることで、信者に、今起こっている問題には直接触れさせないようにし、「何も問題は起こっていない」というポーズを教団内に示すという目的もあるのです。
ですから、住民の皆さんは、「この反対運動は法律の問題ではない。法律が許せばなんでも許されるものなのではない」ということをしっかりと自覚の上、法律の話しかできない弁護士などを相手にするのではなく、責任ある秀明側の担当信者をしっかりと引っ張り出し、もし話にならないようでしたら、仕方がないので、会長先生のお宅まで集団でおしかけてでも、ぜひまともなコミュニケーションに基づく交渉を繰り広げるようにしましょう。
神慈秀明会が東戸塚での集会所建設反対運動に対抗するため、弁護士をたてる予定だという話は、秀明内部からの情報でもかなり早くからこちらにも伝わってきています。
その理由は、まず第一に住民に対する威嚇でしょう。「弁護士をたてた」という情報を早くからリークし、それによって反対運動へ揺さぶりをかける目算があります。
前回、秀明会が青葉区で反対運動にあったときは早期に撤退を決め、弁護士をたてたりはしませんでした。東戸塚では青葉区にも増して反対運動が激しいにもかかわらず早期撤退をせずに弁護士をたててまで争う姿勢を打ち出してきたのはなぜでしょう?
それは、彼らもこの戦いを『正念場』と捉えているからです。
神慈秀明会は住民の反対運動によって、長野県松本市で道場建設を余儀なくされ、横浜市青葉区でも集会所建設を断念せざるを得なくなりました。それに続いて、ここ東戸塚でも集会所建設ができないことになると、新たな教団施設建設予定地周辺の住民はこのノウハウを生かして次々と反対運動を起こすこととなり、この先どこへ行っても新たな教団施設建設が困難になるのが目に見えています。
新たな施設建設が困難になるだけでなく、既存施設に対しても住民から排除運動が起こされる可能性も出てきます。
東戸塚の集会所建設可否が秀明会の今後に与える影響が非常に大きいので、秀明会としても簡単に引き下がることはできないのです。
あの手この手で秀明会は反対運動をしている住民に脅しをかけてきたり、あらぬ噂を流したりして反対運動に圧力を掛け、切り崩しを図ってきます。
その第一段が、今回の、「弁護士をたてた」という情報流布でしょう。
しかし、相手が弁護士をたてたくらいでひるむことなど全くありません。「布教されたくない1人」さんが346で言っておられる通り、反対運動をしている住民は住民としての当然の権利である、”カルトに怯えることのない住環境の維持”を求めて運動しているのであり、相手が弁護士をたてようがそんなことは関係のないことです。
万一、看板やビラに書かれた「カルト」の文言が神慈秀明会に対する名誉毀損に当たる等といって秀明会が住民を提訴するようなことがあれば、「待ってました」とばかりに喜んで提訴を受けて立ちましょう。
神慈秀明会がカルトと呼ばれるにふさわしい団体なのか、そうでないのか徹底して裁判で争い、秀明問題に決着をつける絶好の機会となります。
裁判経過を逐一インターネットで全国に速報し、秀明会の真実を日本全国に知らしめることができます。
それでよければ、提訴でもなんでもどうぞお好きなようにしてくださいと言ってやりましょう。
かってはカルト内部の情報が広範な市民の目に触れる可能性は非常に低く、カルトが信者に何を吹き込もうが、どのような無理難題を押しつけようがカルトのやりたい放題だった時代が長く続いていました。
神慈秀明会幹部の認識はその当時からあまり変わっていないようです。彼らはインターネットによるカルト情報の伝達を甘く見過ぎています。カルトを続けるならばカルトなりの「危機管理」があって然るべきなのですが、彼らはインターネットによる情報伝達に対抗する術を持っていません。
信者に対しては、「邪神に触れるからインターネットで秀明批判サイトを見ないように」というバカげた”情報規制”がある程度効果を現すかもしれませんが、一般市民にはそのような情報規制などできるはずもありません。秀明内部からも多くの情報がメールでこちらに寄せられており、カルトといえども情報に蓋をすることなどできない時代になっています。
多くの市民は最初にインターネットで神慈秀明会を知り、その後もインターネットで新たな情報を日々得ているのです。
そのインターネット上で、これだけ神慈秀明会に対する批判が渦巻いているにも係わらず、神慈秀明会の公式HPは全く更新されていません。それを見ても彼らには一般市民に対する説明責任を果たそうとする姿勢が全くないことが分かります。
彼らには、「一般市民に理解してもらおう」等という姿勢は根本的にないのです。
それが神慈秀明会という団体の姿です。
神慈秀明会が弁護士をたててきたとのことですが、なぜそのような
ことをするのでしょうか。
一般的な見方をすると、反対運動に対して脅威を感じたとともに、
弁護士をたてたという事実による反対運動に対する牽制といった
ことが考えられると思います。
正直いって逆効果だと思いますね。
反対運動は何らかの訴えられるような要素のあることはしていない
はずです。そのようなことをすれば、反対運動そのものが終わって
しまうことは自明のことだからです。
訴えられるようなことをしていない人間に対して、弁護士をたてた
ところでなんの牽制にもならないと思いますね。
まあ、あの土地に集会所を建設したいと必死さのあまり、
そのような行動に出たのかもしれませんね。
まあ、反対運動は今までどおりのことをすることになりますね。
建設反対。建設中止および完全撤退を望みます。
東戸塚集会所建設・・・
これが 現実の ものとなったことを
想像してみてください。
東戸塚集会所建設により 地価が おそらく下落します。
だれも そんな カルトが住むような地には 住みたくないでしょう。
東戸塚集会所建設により、そこに住居を構える地域の方々の固定資産評価額は著しく下落します。
財産が減ることになります。
それでも いいんですか?
東戸塚の住民のみなさま?
東戸塚集会所建設 断固 反対してください。
財産保全のためです。
これだけ反対され、しかもその輪は日に日に大きくなっていく。
信者の女性を昼間、各戸に訪問させて説得にあたらせようが弁護士をたてようが、これだけ皆の反感を買い、拒否されてしまった今では寧ろそれらが逆効果だと知るべきだ。
元はといえば住民説明会であそこまであやふやで責任逃れの発言をした秀明会側の態度にもある。
どんなに信じろと言われても不信感は増すばかりだった。
もはやここまで皆に拒否されてしまっているのだからどんな手をつかって建設しても、たとえそれが合法だからと主張したところで余計皆の反感を買うだろう。
この地での活動はあきらめて他に受け入れてくれる場所を探してください。
お互いの平和のためです。
神慈秀明会は、長期戦に持ち込んで住民が油断したところを狙って
いると見ていいですね。
でも、反対運動は決して収まることはないですよ。
それどころか、広まっていくと思いますよ。
そうなると、秀明会が最も恐れている社会的に彼らの情報が広まる
ことになるはずなのだけど、それでもいいと思っているのでしょうか。
まあ、自ら健全だと言っているのだから、構わないのかも
しれませんね。
とは言え、やはり建設反対です。建設中止・撤退を望みます。
東戸塚集会所建設・・
秀明会は、かなり洗脳されています。
明主さまが、東戸塚の霊層界をあげてやることができる。
東戸塚を、明主さまの お光で清めてあげれる。
すべては、東戸塚の地域住民のためです。
と、心の中で そう信じきっているのです。
なにせ、彼ら信者にいわせると、秀明会こそが、この世で
最高の、宗教だからです。
東戸塚集会所を建設し、秀明式自然農法で作った、自然食、自然野菜の販売会をそこで、必ず行います。
それを、きっかけに、そこに買いに来たお客さんを、信者に勧誘することは、目に見えています。
絶対、
東戸塚集会所は、阻止してください。
家庭がめちゃくちゃになります。
■■東戸塚集会所建設反対署名数■■
2006年6月 4日現在 1,071件
2006年6月12日現在 1,255件
2006年6月13日現在 1,331件
2006年6月18日現在 1,454件
2006年6月22日現在 1,507件
2006年6月25日現在 2,146件
(この表示は更新毎に掲載していきます)
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