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たびたび話を変えて申し訳ありませんが、別の話をします。
神慈秀明会に対しては、建設地の管轄の役所より近隣住民の多数
の不安の声があるようなので、近隣住民に対して十分な説明や
調整を行うようにとの依頼が秀明会の代表者宛てにあったはず
ですよね。
十分な説明や調整が行われたとはまったく思っていないですが、
最も問題があるのではと思っていることは、果たしてこの役所
からの依頼が秀明会の代表者に伝わっているのかということです。
役所が代表者に直接そのような話をしたり、文書を渡したりと
いうことはないはずなので、直接話を聞くか、文書を受け取った
人が秀明会にはいるはずですよね。
その人物から確実に秀明会の代表者にその話は伝わったのでしょう
か?
伝わっているのであれば、代表者名での説明・調整の文書などが
あってもいいのではと思いますが、今までそのようなものには
お目にかかっていませんね。
それとも伝わっていなのですかね。伝わっていないとしたら問題
ですよね。仮にも役所からの依頼が伝えるべき当人に伝わって
いないことになるのですから。
ひょっとして、そんな話をして上から怒られるのを恐れたどっかの
誰かが握りつぶしてしまっているのでしょうかね。
これは想像が過ぎましたかね。
まあ、こんな状態ですから代表者に話が伝わっている・伝わって
いないにかかわらず、信用できる対応が期待できるような団体で
はないですよね。
神慈秀明会の東戸塚での集会所の建設に対して絶対反対です。
即時の建設中止の決定および完全撤退を望みます。
>7/18(火)の19:00から説明会を行うとの通告
これは、無視してください
元信者さんがおっしゃるように
7月23日午後一時、場所は、鴨志田中学校体育館で再度行いましょうと話してみては如何でしょうか?
あおばの会という 仮面をかぶった秀明会を暴露できるし、
鴨志田中学校関係の 教育委員会にも その仮面のうらがわを暴露できる格好のチャンスです。
初めまして、始めてメールします。元信者です。
今でも、たまに秀明会の話が耳に入ってきます。その話の一つとして
説明会の日時変更依頼を無視し続けているなら、なんなら、7月23日午後一時、場所は、鴨志田中学校体育館で再度行いましょうと話してみては如何でしょうか?
実はこの日、秀明会はあの青葉台において著名な講師をまねき
「食卓の崩壊──食べ方の規範をとりもどそう」の講演会を行います。
必然的に、横浜集会所・東京支部等、近隣の拠点が集まりバックアップします。(主催はあおばの会:もちろん青葉台集会所の方々)
それなりの上の方々も当然来られるはずなので、駄目ならその日その会場に伺って上の方と話をしますと言ってみればどうでしょうか?資格者(先生をこう言います)が多数来ていると思いますよ。
それと説明会を、休日にしないのは、単純に秀明会行事が既に入っているからという理由もあります。
彼らは、本部行事・各拠点の行事が最優先。信者でなく、かつ、本部関係者でも無ければ一番下ですから。
あと、決定権は、建設委員にはありません。
秀明会でいう資格者(先生)を出席させるよう交渉してください。
住民側の名簿提出を求められているなら、秀明会側の名簿も提出させ、その中に秀明会の役職(資格者・助教師・世話人等)を明記させて資格者が居ないなら説明会にならないと抗議するのもどうでしょうか。(尚、秀明会用語で役職をお役といっています)
■■東戸塚集会所建設反対署名数■■
2006年6月 4日現在 1,071件
2006年6月12日現在 1,255件
2006年6月13日現在 1,331件
2006年6月18日現在 1,454件
2006年6月22日現在 1,507件
2006年6月25日現在 2,146件
2006年7月 3日現在 2,354件
2006年7月12日現在 3,409件
2006年7月16日現在 3,482件
(この表示は更新毎に掲載していきます)
「男子大祭」という神慈秀明会の行事があります。
今年は10月15日(日)に秀明本部で第32回男子大祭が予定されていますが、そのテーマは昨年に続き本年も、「一人ひとりが心を開き、感謝を世界に」というものです。
大祭への参加を呼びかける文書には次のような文言も書かれています。
--------------------------------------------------------------
『心を開き、身近な人に感謝(愛) の想念を送り続けることにより、
「相手を受け入れることができるようになった」 「理解が深まり、心が通
い合うようになれた」 等、嬉しい感謝の報告が寄せられるようになりま
した。
まだまだささやかな動きですが、この心の絆を一つひとつ結んで「幸せ
な家庭」 「明るい職場」そして「平和な世界( 社会)」へと拡げてまいりたい
と思います。』
--------------------------------------------------------------
■東戸塚の集会所建設計画での住民に対する神慈秀明会の態度は、『住民に心を開いている』と言えるのか?
■東戸塚の集会所建設計画での住民に対する神慈秀明会の態度は、『相手(住民)を受け入れている』のか?
■東戸塚の集会所建設計画での住民に対する神慈秀明会の態度は、『(住民との)理解が深まり、心が通い合うようになれた』のか?
■東戸塚の集会所建設計画での住民に対する神慈秀明会の態度は、『(東戸塚の住民が)幸せな家庭を築く』ことにつながるのか?
■東戸塚の集会所建設計画での住民に対する神慈秀明会の態度は、『(東戸塚が)平和な社会になる』ことにつながるのか?
秀明会側は、『私達はそう思っています』と答えるだろう。
ではなぜ反対運動が起きるのか?
住民が神慈秀明会に対して多大な不信感を感じているのはなぜなのか?
それは神慈秀明会が住民の声を聞こうとしない傲慢な態度をとり続けているからだ。
住民に理解されないまま集会所建設を強行しても、双方が不幸になるだけだ。
神慈秀明会が東戸塚で集会所建設を強行することは、『一人ひとりが心を開き、感謝を世界に』というあなた達の目標からも180度逆行する行為だ。
「常識」の他にも、まだまだ「反対運動に使えそうな教え」があるのですが、その一つに「信仰は信用なり」というのがあります。下にリンクしてあるのでご覧ください。
「教祖の教えを最も実現している」と勝手に思っている神慈秀明会は、この教えに従い、「自分たちほど世間に信用され、愛されている団体はない」と考えています。だから、「自分たちは歓迎されていると思っていた。まさか反対されてるとは思わなかった」などというのです。
普通、宗教における教義とは、「そのような人間になりなさい。そのように努力しましょう。また、このような事はすべきではありません」ということが書かれていて、信者達は、その教義を、自分たちがどのような努力をしていくべきか、どのようなことをしてはいけないのかが示されていると理解するものです。
ところが神慈秀明会という不思議な宗教は、「私達の教団は、数ある教祖の教団の中で最高なのだから、ここに書かれていることは、私達教団はとっくの昔に出来ているのだ」と考えるのです。だから「私達の教団には常識がある」「私達の教団は、すでに社会的信用を十分に得ている」という態度をとるのです。
ですから、交渉においては「お前達の教団は信用出来ないんだ」という事を明言し、全ての交渉は「神慈秀明会は信用出来ない団体である」ということを前提に行いましょう。名簿を渡さないというのも、その一環です。「信仰は信用なり」の教えと真逆の評価を得ているのだということを思い知らせてやりましょう。
なお、神慈秀明会は、この教えの最後の一文、「 以上は、人間に対しての話であるが、今一歩進んで神様に信用されるという事、これが最も尊いのである。神様から信用されれば何事もうまくゆき、歓喜に浸る生活となり得るからである。」という教祖の言葉を悪用し、
家族や学校や世間に信用されなくても、神様(実質は秀明会幹部)が喜んでくれたらそれが正しいんだ。絶対的な正義なんだ。
と考え、教える宗教です。だからいままでも、家族や世間に迷惑をかける活動を平気で繰り広げてきたのです。新体制になっても、活動は無くなりましたが、この考え方は根強く生き続けています。
え?その証拠はって?まさに、この反対運動における神慈秀明会の態度こそが、その動かぬ証拠と言えるじゃないですか。
近隣住民に対する信用を得ることなんてどうでもいい。説明会の1件においても、曜日変更の交渉を無視で返すことや、名簿提出などの嫌がらせ、平日の説明会断行という先方の都合を顧みない態度。これらは、近隣住民から信用を得、愛されることなどよりも、結果的に建設だけを成功させ、神様(秀明会幹部)が喜んでくれたらそれだけが正義なのだ。いうことを露骨に出してきている交渉態度です。
まさに、「社会的信用や、世間から愛される事などはどうでもいい。自分たちの目的達成だけが至上の目的なのである。」と神慈秀明会が新体制のいまでも考えているという証拠であり、神慈秀明会がカルトと評される根拠でもあります。
ですから交渉の中で、機会があったら「あなた方は、近隣住民からいっさいの信用を得られなくても、結果的に建設が成功し、神様が喜んでくれたらそれでいい、と考えているんじゃないか」と聞いてみてもいいでしょう。はっきりいって図星です。どう返事してくるかは見物ですね。
>ところで、彼らは説明会の案内にその説明会への出席者に対
>して、住所・氏名の記載をさせるとの記載をしています。
この件について、昨今の「個人情報の保護」という観点から、このようなリストを、住人でもない神慈秀明会に渡すということはどうなんだろうという疑問があります。これは、相手が神慈秀明会というカルトだからという意味ではなく、いかなる団体を相手にした場合でも同様の疑問です。
神慈秀明会の目的が、「参加者が本当に近隣住人の者か」という確認をしたいならば、参加者リストは住民側の責任者が管理し、その確認の目的のためにだけ神慈秀明会に「閲覧を許す(持ち帰りやコピーは許さない。閲覧には閲覧許可申請書を書いて提出してもらう。秀明会担当者は、住民側責任者の目の前で、目視にて確認をしてもらう。必要あれば、後日においても何度でも閲覧を可能にする。)」というのが、個人情報保護の観点から最も適切であると思いますが、いかがでしょう。
また、目視による閲覧の結果、「近隣住民しかいなかったのか、部外者が確認出来たのか」、どちらの判断を行ったのかについて、閲覧担当者に一筆書類を書いてもらい、印鑑を押してもらう方がいいでしょう。
なぜなら、閲覧をしたのは担当者ただひとりであり、その担当者のさじ加減一つで、「どうとでも言える」からです。
本来、今回の反対運動の主眼は、「神慈秀明会は、まったく信頼が出来ない団体であるので、近隣住人に迎えるなんてとんでもない」ということであるはずです。
もし神慈秀明会が近所にいたとしてもまったく信用出来ない、近所づきあいなどとんでもない団体であるのだから、ご近所になる前、つまり建設前に反対しているわけです。
信頼出来る相手に対してだって、個人情報保護の観点から、簡単にリストを公開すべきではないというのに、そんな「近所にいたとしても信用出来ない団体」に対し、ましてやまだ近隣住人にもなっていない神慈秀明会に対して、近隣住人のリストを渡せるわけがありません。どんな悪用をされるかわかったものじゃない。
そして、神慈秀明会側も、個人情報の保護という世間の風潮にならい、参加者リストの収集などは自粛遠慮すべきです。
これが常識的感覚というものです。
なお、神慈秀明会と交渉するときは、出来るだけ「常識」という言葉を多用すると良いでしょう。なるべく新聞などで一般的に書かれている「個人情報保護」などの「常識」に沿ったことをいい、神慈秀明会が常識と違うことを言って来た場合は、「あなた方は常識を知らないんですか」と言いましょう。この言葉はボディブローのように効いていくはずです。
なぜなら、神慈秀明会は、自分たちを「非常に常識にあふれた常識人である」と思っているからです。そういう教義なのです。
神慈秀明会で全ての信者が何度も読んでいる「常識」という教えをリンクしますので、参考にしてください。
この文章を書いたのは神慈秀明会の教祖です。神慈秀明会の教祖は、神慈秀明会だけの教祖ではありません。神慈秀明会は、数ある分派教団の一つです。
しかし、神慈秀明会には「教祖の文章を何度も繰り返し読み、自分たちほど教祖の言葉に忠実な教団はない、と考えるが、実際には全くその通りにはしていない」という意味不明の特徴があります。特にこの「常識」という教えに関して、その特徴がもっとも顕著に出ていると言えるでしょう。
この文章を印刷して、盾とし、交渉の場にたつのも良いと思います。
神慈秀明会は、説明会日時変更の要請に対していまだに回答を
返してきていない模様です。無視だということのようです。
ところで、彼らは説明会の案内にその説明会への出席者に対して、
住所・氏名の記載をさせるとの記載をしています。
なぜかというと、集会所の建設反対運動は近隣住民ではない
秀明会に敵対する宗教(どこかは知りませんが)の人物による
扇動によるものであるので、出席者が真に近隣住民であるかの
確認を行いたいのだそうです。(彼らの主張です。)
これもまたあきれた話ですね。
言うことに事欠いた上に、集会所の建設反対運動が近隣住民の
手によるものではないと決め付けている話ですよね。
反対署名が3000以上も集まっているにもかかわらず、そのような
ことを言っているのです。
自分たちのやることに対して反対する人間は皆、彼らに敵対する
宗教の人間だと思い込みたいようです。
しかし冷静に考えると、秀明会の上層部が本気でそんなことを
考えているとはとても思えず、彼らの信者や彼らに対する反対者
以外の人への言い訳として使っているのではないでしょうか。
と言うことは、なぜ説明会への出席者の住所・氏名の記載を
望むのでしょうか。何か別の意図があるとしか思えませんね。
それがなんなのかは彼らの考えていることが逐一わかるわけでは
ないので、わかりません。
しかし、住所・氏名の記載には危険性があり、とても勧められる
ものではないということは言えると思います。
まあ、こんなことはみんなわかっていることで、今更と言う気も
しましたが、一応書いておきました。
東戸塚への神慈秀明会の集会所の建設には絶対反対です。
即時中止および完全撤退を望みます。
勇気を出して、初めて書き込みさせていただきます。
私は毎日、建設予定地の前を通っています。
あそこに教会ができ、どこのだれだかも分からないような人が集まるようになったら宗教どうのこうのよりもまず、怖いです。
今は駅まで徒歩ですが、夜道を1人で歩くのが今までよりもずっと怖くなります。
それに、その人達が私達が理解できないような思想をもつ、洗脳された人達ならば、本当は無害な人々なのかもしれませんが、そんな専門知識のない私にとっては本当に恐怖です。
それに、慈悲秀明会の誠意の感じられない対応。。
ただ理解してくれと言う以前にもっとちゃんとすることはあるのではないですか?
代表者が直々に住民がちゃんと集まれる時間に、住所や氏名の記載なしに説明会を行わなくてはならないのでは?
私はまだ学生です。未成年です。
こんな私でもそれくらいのことは常識だと思っています。
それなのに立派な大人がそんな対応が社会で許させるとでも思っているのですか?
誠意を見せてくれない人なんか誰も信じないし、受け入れてなんてくれませんよ?
私は集会所建設に断固反対です。
再度の説明会日時の変更の申し入れ(メールやネットでなく
正式ルートによるもの)にもかかわらず、神慈秀明会は現在の
ところ何の返答もよこしてきていないようです。
返答さえもしてきていないと言うことです。無視ということの
ようです。
あきれる集団としか言いようがありません。
彼らが言っていたとりあえず見て判断して欲しいということに
対して今回答できますね。
この数日の対応を見てきて判断しました。非常に不誠実で納得の
いかない対応としか見えません。
共存は無理としか言いようがありません。
どうかお願いだから出て行っていただきたいと思います。
東戸塚ではあなた方の姿を見たくありません。
これでもできるだけ丁寧に書いたつもりです。
善処願います。
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